思考の遊園地回廊 #10

命ばっかり / 6年後に好きな人と仕事するわたし

196日目:vvvvオフ会(オンライン)に参加してきた / 美術と震災の話

こんにちは。連休中は展示とオール続きで何もしてません。Liveは相変わらず放置です。勉強しなきゃ……

3連休最終日、zoom上で開催されたvvvvオフにノリで参加してきました。超楽しかったー!
以前がくまこさんとかがTwitter上でzoom飲みなるものを開催しておりとても楽しそうだったので、おうちでzoom使って人と会話するのは少しだけ憧れだったんですが、憧れてからひと月もしないうちに実現…!!!うれしい!殆ど喋ってないけど!

わたしはvvvv落として7日とかなので完全に「へー、そんなことができるんだね!」「すごい!」って言うだけで見てましたけど、知識ゼロでもとても楽しかったです。
ドイツ在住のエンジニアの方が現地のコンテンポラリー・アートの話とかしてくださってそれも興味深かった。とか言ってる時点で僕はなんだかんだアート寄りなのかなあ。わからん… オフ会のメモは主宰の方がまとめてくださってるので割愛します。

note.com

 

現代美術は己がまだ理解できないのが悔しいから「わかるまで見る/わかるまで文脈勉強して知識武装する」の気概で突き進んでるけど、Houxo Queさんだけはかなりマジでファンなのでカオスラのアトリエまで観に行きました。Houxoさんの作品は本当に吸い込まれるしずっと見てられる。ギャラリーにキュレーターとか本人がいなかったら多分日が昇ってから沈むまでずーーーっと眺めていると思います。その位、美しい。
特にわたしはTOKYO2021*1展示の《un/real engine》が本当にダントツで好きで。ここから先は下りないでくださいと書かれた文字と着飾った洋服が恨めしくて仕方がなかった。
光を放ち続ける壊れたヴィジョンに並々と湛えられた黒い水。それはどうしても原爆の「黒い雨」を彷彿とさせる。
禁断の水に足をつけたい欲望を必死で堪えながら、わたしはその美しい閉鎖的な光景をずっと眺めていた。聖域で、救済で、祈りで、そして答えだった。自分自身が存在していること自体が奇跡に思えた。

彼は震災を契機に液晶を用いた作品を作り始めたアーティストらしいが、先日の3月の壁といい、僕にとって結構震災とは実感のない過去の記憶のようなものだったりもする。当時は中学生で、6Fにある歯医者で治療を終えたばかりだった。患者は私一人で、酷く狼狽したことを覚えている。しかしTVで見る震災の記憶は、どこか対岸の火事のようだった。

 

わたしは、たぶん、恵まれていた。

 

それはおそらく、私が当時すでにTwitterベースの情報入手を行っていたからだと思う。今でこそTwitterはメジャーなコミュニケーション・ツールだけど、当時はまだまだクローズドで秘密めいたオタクの遊び場だったし、わたしにとっては逃げ場だった。学校も家庭も最悪な時、インターネットだけが、私の支えだった。そしてインターネットを行き来する情報はTVとはまるで違って、全部が体験をもって書かれているような、生の情報のような気がしていた。(もちろんステマと広告が発達した2020年現在これが皮肉としか聞こえないのは言うまでもない)

だからわたしは生の声でたくさん知った気になる一方で、魔法少女まどか☆マギカの放送延期とか、ACのCM「あいさつの魔法」がニコニコ動画で大流行したこととか、そういう形でしか震災の記憶を引き継げなかったんだよね。それは今のコロナショックにも共通しているかもしれない。下手に大学でジャーナリズムを専攻し、新聞やメディアのインターンを経験したせいか、わたしは就活を目前にマスコミにすっかり絶望しきってしまった。でも危機感だけは募るから、左寄りのアカウントと右寄りのアカウントを両方フォローして、定期的に関心を寄せては、いたよ。若干リベラルに寄ってる気はしないでもないけど。


ちなみに禁断の欲望はカオス*ラウンジの3月の壁に行った際、賽の河原をテーマに配置された液晶をガンガンに踏みつけることで解消しました。やったー!!液晶って本当に美しい。Houxo氏の作品も超美しい。最高!!!!!!!純粋な退廃美とデジタル・ファーストな昨今の痛烈な批判とも受け取れる彼の作品、本当にいつか購入したいです。絵画以外でこんなに好きになった作家あんまいないかも…

なんかわたし、好きな人たちの思考を読み解きたくて彼/彼女らが行ってそうな展示を闇雲に追っていただけのはずなのに、気づいたら自分自身も現代アート好きになってたみたいだね。あれ、不思議だな…

*1:TOKYO2021についてはこちらに詳しく書いてあるので是非。

bijutsutecho.com