思考の遊園地回廊 #10

命ばっかり / 6年後に好きな人と仕事するわたし

249日目:詩と発声、発生する音素は明瞭に音を立てて逡巡する

現代詩の朗読をはじめた。

小笠原鳥類の詩集に、寄稿の分がいくつかあって、そのうち榎本櫻湖がこんなことを言っていた。

現代音楽を聴いたことがないものにとってそれはどれもおなじもののように聴こえ、音楽というより雑音でしかないと感じてしまうひとも少なくはないようだが、おなじように、現代詩も慣れないものにとってはこれが詩なのかと困惑してしまうのだろうが、現代音楽も、そして現代詩も、やはり慣れは重要で、反復してくりかえし読むことでそのよさがだんだんと理解できてくるのだろうが、*1

私も反復練習は必要だと思っていて、例えば書籍*2で現代美術に関する基礎知識を読み、TLで美術情報を追う癖をつけた結果、それまでカタカナばかりだと思っていた知識が急に明瞭に眼前に立ち上がるといったことがよくある。

 前に笹山直規さんの個展にお伺いした時、ひょんなことからダミアン・ハースト「桜」の話をしたが、その時まだ生々しい覚えたての知識でも、文献で彼のことを軽く学んでいてよかったと思った。しかしまだ現物は見ていないし、文脈として正しく理解しているわけでもあるまいと思うので、これ以上の言及は控える。

 

それよりもふいに、予期せぬ瞬間に、偶発的に出会ってしまうことでいっきにひきこまれてしまうだけの魅力が彼の詩にはたしかにあって

 榎本はこう畳みかける。確かにそうだ。朗読をはじめて3日が経つが、1日目、2日目に読み上げたときに感じた頭の中がぐちゃぐちゃになる感じが今日はなくて、純粋な音の歯切れの良さ、光景のもたらす偶発的なイメージを楽しめるまでになった。その身体的な言葉選びは気づけば私の口を突き動かし、感情を規定する。色のように歌い、音楽的にリズムを刻む。完璧だ。

これは読まれるために生まれた言葉だと思った。

劇団時代の記憶を思い出す。発声練習にと虚誕な言葉をよく読まされていた。鳥類の詩はそうした感覚に近い。一見無意味のようにありながら、意味への思考を放棄した途端、すっとイメージが立ち上がる。その瞬間は実に興奮するものだった。

 

話は変わるが、岩切一空の新作映画『第七銀河交流』を観た。

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 イソラさんの映画は『聖なるもの』で初めて見て、個人的にわけわかんないけど皆が絶賛してるしで頭の中ぐちゃぐちゃだったんだけど、そのあと本人にお会いする機会があったけど見事貴重な機会をぶっ潰したのをよく覚えている。

でも、彼を知ってから3年、斎藤工総監督『COMPLY+-ANCE コンプライアンス』を観たときに、はじめてわかったというか、イソラさんの作品に漂う透明感と、暴力的ながらきゅっと差し迫るものが在る感じが、巧みだなと思って。わたしが映画に慣れたってのもあるんだろうけど、とにかく、あの作品はとても良かったんだ。

今作はリモートで撮影されたらしいけど(コンプライアンスの舞台挨拶の中でも少しだけそのことを言及してましたね、)リモートとは思えないくらい岩切色がゴリゴリに出てて、めちゃくちゃ良かった。切ないんだよ。そういう意味では小笠原鳥類に似てる部分があるのかも。やっぱり早稲田色ってあるのかなあ。

 

そのあと今泉さんの『MILK IN THE AIR』を観ましたが、確かにこれはMILK可愛い動画だなってだけでした。画質がいいですね。私は大好きなラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を流しながら見たので、無性にソワソワする羽目になりましたが…。

しかしこのSHINPAという在宅映画製作シリーズ、個人のポテンシャルが露わになってどぎついな、、、、、(良くも悪くもです。大勢で作るのが上手い人もいるし、一方でリモートだとマルチな才能に有利というだけの話)

*1:榎本櫻湖「ペンギンはロケットなのだと彼は言う」小笠原鳥類『小笠原鳥類 詩集』思潮社, p.155

*2:布施英利『わかりたい!現代アート』には本当にお世話になった。今も迷子になるたびに同書を開いている