思考の遊園地回廊 #10

命ばっかり / 6年後に好きな人と仕事するわたし

263日目:骨折

形態学(モルフォロジー)に基づいたデッサン解説書を買った。この言葉は解剖学者のポール・リッシェが1890年ごろから唱え始めた理念で、医学的見解から人体を細分化する「解剖学」に対してより総合的でアーティスティックなアプローチとしてこの言葉を用いている*1
 
美術解剖学はいつか避けて通れない道だとかねてより思っていて、それは私が幼少期より意識してやまないレオナルド・ダ・ヴィンチが画家であると同時に良い解剖学者であり発明家であり、探求者であったことに起因する。家に一冊だけ解剖系の本はあるけど、あくまで解剖学に基づいた人形の話だったりするし。「デッサンをやらなければ」「解剖学を学ぶべき」と思い始めてたぶん6年くらい、ようやく重い腰を上げたといったところか。
 
この本は私が個人的に崇拝している絵描き、eikohさんが練習用に用いており、そんなに高くもないし良さげなので買った。大好きなイラストレーター、redjuiceさんによる解剖学系オススメ本に『スカルプターのための美術解剖学』『キネティックコントロール 制御されていない動きのマネジメント』というものがあるが、本1冊に13000円とかなり笑えない金額のため勢いで買うのは躊躇していた(当時高校生だったし)。
 
お陰様でこの6年間の間に画廊狂いになったり日本画や油彩を始めたりしたため、相対的な画力、および観察力*2がかなり向上した状態で構造を学べている形になり、いまのところ非常に興味深い。
最近になってようやく真面目に美術や音楽を学び始めたが、闇雲に何年も画廊通いやDigを繰り返していたところに一本の線を与えられ、視界が開けるような感覚にいつも襲われる。その都度わたしは興奮して笑い出し、家族に冷たい目を浴びせられるのだが、もはや笑うほかない。楽しいのだ。そしてこの本はその類の興奮をもよおす。ドーパミン大量分泌である。分泌されすぎてアドレナリンになる前に身体が震えるレベルだ。ワロタ。
 
具体的に話すと、たとえば鎖骨を毎日描きすぎて、頭がおかしくなっていたところに父親に遭遇し、鎖骨をみる。私のなだらかで主張の薄い鎖骨と違いハッとさせられる。あれ、鎖骨の間ってこんな狭かったっけ?絵と違うぞ!という経験がひとつ。
それから数週間後、この書籍で人体に対する鎖骨の幅を知る。感動~!!!鎖骨って狭かったんだ!!!みたいな。言葉にするとマジでバカっぽいな。
 
 でもこういう感動は本当にうれしいし、結構ある。昨日も帰り道に芸大和声の一巻を読んでいたんだけど、トライアドが何かわかったことよりも、高2の音楽の授業で大嫌いになった根音とか転回形とかいう言葉がすんなり理解できたうれしさよりも、楽譜の構造のすばらしさに対する感動がデカかった。
 
わたしは、気づいたのだ。ト音記号ヘ音記号の間には、1本の線しか入らないということに。つまり、ト音記号の五線譜にとっての下のドは、○に線を引いた土星の形だし、ヘ音記号の五線譜で上のドを描くときも、○に線を引いた土星の形でいいのだ。すごすぎる。今までなんでト音記号ヘ音記号を並べるの、ルールが違って分からなくなるよ、数えられないと文句を垂れていたが、違うのだ。わかるのである。
 

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これは本当に発見だった*3。びっくりしすぎて、丸ノ内線の車内で叫び声をあげるところだった。
家に帰って母に話したところ(母は家族で唯一絶対音感がある)、そんなの当たり前じゃないと一蹴されたが、本当に感動した。記譜法にはまだまだ私の知らない美しさ、洗練された美学が存在するのかもしれない。いやー、本当にうれしかった。
 
 世界はまだまだ知らないことで満ちている。まだ見ぬ感動が、知らない知識がこんなにも残されているということは、なんと喜ばしいことだろうか!私は幸せだ!
 
 
p.s.
たぶんランニングのし過ぎでシンスプリントになりました。別の炎症も併発し、歩くのもキツいため現在運動お休み中です。疲労骨折じゃないといいんだけど…

*1:ミシェル・ローリセラ『モルフォ人体デッサン』,グラフィック社,2019

*2:これは持論だが、油絵(とくに写実画)を描くと人間の肌のレイヤーが増える。肌を知ると、他の部分のレイヤーも増える

*3:5/29追記:画像はSoundQuest(https://soundquest.jp/quest/prerequisite/about-prerequisite/)より。自分で気づいて本当に感動したが、準備編で解説されてて改めて自らの無知を自覚。まあ自分で気づけた快感が最高だったのでいいですが…