思考の遊園地回廊 #10

命ばっかり / 6年後に好きな人と仕事するわたし

267日目:infinity porca dots room

月末、草間彌生美術館『ZERO IS INFINITY 「ゼロ」と草間彌生』に滑り込みで行ってきた。

同展は美術館初のグループ展で、草間も出展した1960年代前後の展示会を牽引した"ゼロ"という美術集団をテーマにしている。"ゼロ"は狭義には1958年、デュッセルドルフでハインツ・マック、オットー・ピーネの両名によって結成され、のちにギュンター・ユッカーが加わるグループ。雑誌『ゼロ』の創刊、多くの主催する展覧会の中で、ヨーロッパ各地の前衛芸術家を巻き込んだ運動へと発展していった*1
私は草間のハプニングや国外での活動に関しては浅く聞いたことがあったが、ゼロに関しては初めて聞いた。ただ「0」と「無限」という相反するものを同居させるコンセプトのアンビバレンスに(はたまたコロナ明け前の5/28に一足先に開館し、当初の会期通り31日に閉廊するという挑戦的な姿勢に)、ちょっとゾクゾクしてしまったので迷わずチケットを取った。

ちなみに私の名前はレン、すなわち零だが(無論本名ではない)、わざわざネーミングに空虚で特別なこの数字を選ぶ捻くれた感性といい、若干思想としては似たところがあると思う。烏滸がましいか。 
草間彌生美術館は早稲田大学の比較的近くにあるガラス張りに水玉が施された建物だった。朝一番の鑑賞チケットで厳重な警備の中をゆく。5F建ての建物はHPの告知通りそんなに広くはなくて、でも階段のつくりや随所に設置された鏡がその狭さをかえって異世界的に演出していた。特に驚いたのが化粧室だ。全国のお手洗いで一番狂気的なのは間違いなく京都の居酒屋・村屋のVaporWaveトイレだと思うが、それに匹敵するレベルの全面鏡張りトイレである。ピカピカと磨かれた鏡に、一面に貼られた赤い水玉。永遠に続くかのようなミラールーム。特に座った時に自身の身体と便座が接触する部分に巨大な水玉が貼られていたのには笑ってしまった。少し前の妄撮に似たエロスが掻き立てられる。
展示の説明をするのも野暮かもしれないが、これは日記なので最低限の記述を試みる。展示は殆どが2階と3階に置かれ、4階は草間の新作、屋上のある5階では映像作品、といった構成になっていた。スタンダードなホワイトキューブ的2階に対し、吹き抜けの3Fや5Fは明るくて空間的、環境的だ。風通しのよさに、川崎市岡本太郎美術館を思い出した。この都心で開放感ある美術館をつくれるのはすごい。

以下、作家ごとに簡単な言及を試みる。というか普通に感想です。

 

草間彌生

<<無限なる天国への憧れ>>(2020)

<<無限の網(1)>>(1958)

<<マカロニ・スーツケース>>(1965)

<<ファリック・ガール>>(1967)

<<ナルシスの庭>>(1966/2020)

 

無限の網に白いヴァージョンがあることを知らなかった。爽やかで、どこか回帰的な安心感に包まれる。友人に集合体恐怖症の人間が何人かいるが、私はその逆かもしれない。規則的な羅列に安心する。ミニマリズムを愛しているのはそれが個人を徹底的に脱臭させ、鑑賞者も制作者も同じ次元へと回帰させる(と私は思っている)からだが、わずかな揺らぎが持つ身体性が無意識に僕らの身体に影響を及ぼし、それは時として感銘に変わる。
草間のファルスを象ったソフト・スカルプチュアに私はあまり魅力を感じない、というかむしろ苦手なのだが*2、タブローに惹かれるのはそれがあるからかもしれない。

 

イヴ・クライン

<<i.k.b petit bleu>>(1957)

<<青の時代の人体測定>>(1960)

<<火の絵画を具現化するイヴ・クライン>>(1961)

 

ちょうどその日椹木野衣『シミュレーショニズム』を読んでいて、マイク・ビドロがイヴ・クラインのパフォーマンスを揶揄した話を知っていたので、「人体測定」の動画を見たときにビンゴでびっくりしてしまった。こんなこと言うと怒られそうですが正直、金粉AVを思い出した。我々は美術館に通い詰めて、裸体に慣れすぎている。私の中で「ネイキッドは罪ではない!」という意識と「馬鹿野郎!貞淑さを失うな!」という意識が喧嘩している。あーもうやめて……そういえばゴルチエが18/19AWで「乳首にも自由を!」って言ってたな。申し訳ないけど夭折だろうが炎扱ってる時のマジで官能的な目とかモデルの扱い方見ちゃうとやっぱりキッチュにしか思えないんだよな。女体賛美は女がやってこそ純粋…って言おうとしたけど、それはそれで違う気がしてきた!むしろ女体にだけ美しさのアウラを背負わせてることがそもそもの間違いなんだよ!たぶん!!!(先日の七菜乃評と大きく矛盾しますが)
クールダウン。インターナショナル・クライン・ブルーはすなわちホルベイン透明水彩で言うロイヤルブルーではないか?あとやっぱりどうしても布施琳太郎やIAMASのホームページを思い出す…また、モノクローム絵画とは白黒だと解釈しながら解説を読んでいたが、無地であることがモノクロームの意義なのかもしれない。ちょっとこれは調べます。

 

■オットー・ピーネ

<<煙のドローイング>>(1960)

<<かんむり座>>(1965)

 

ピーネは哲学を学び、作品は自分自身が描いているのではなく光が描くと主張していた。
飛翔する暗闇、純粋絵画への希求。それが電球の作品と何の因果性があるのか私にはわからなかったが、煙で絵を描く通称・スモークペインティングは面白いと思った。
ところどころ黒の円が真円でなく、削れている箇所がある。マスキングだろうか?マスキングテープって燃えないのか?半透明な箇所も見受けられ、どうやって描いているのか疑問に思った。映像を見たところキャンドルを数本束ねたものを頭の上に横たえたキャンバスに掲げて黒い跡をつけていたが、下書きの線をみながら進めているだけでとくにマスキングなどしている様子はなかった。ますます謎だ…
自分の子供から着想を得た「光のバレエ」などの作品発表をしながら、彼は最終的に「宇宙に絵を描きたい」という構想に至る。それは地球から月までの空間を用いたドローイングだった。

 

■ハインツ・マック

<<始まりも終わりもない>>(1959)

<<空間の光格子>>(1961-1969)

 

ハインツ・マックは途中から作風が結構変わったらしいが、たしかに<<空間の光格子>>は、最初に見た縦横に線が引かれたドローイングとは対照的だ。螺旋状の巨大なモニュメントが無機的に輝き、床から照らし出されたライティングが細かに変わり吹き抜けの部屋を明るく照らす。あーこれ好きな人と来たかったな。記憶を共有したくなる。客は多くが一人で来ている風の女性だが、ちょこちょこアベックが見受けられるのもわかる気がした。観光客もいた。
映像資料ではサハラ・プロジェクトのことをカラーフィルムで記録していたが、SF映画のような銀色の服が鏡のインスタレーションと通じるものがあるように感じた。
彼は高校教師であったと紹介する映像とはずいぶん雰囲気が異なり、ふわりとした襟足長めの金髪に、サイバーな装い。『オペラ座の怪人』のラウルみたいな好青年に見えたことが余計にSF感を抱かせた。撮影は1968年らしいから、ちょうど『2001年宇宙の旅』『猿の惑星』などの名作SFが生まれた年でもある。あながち間違いでもないのかも。

 

■ギュンター・ユッカー

<<LIGHT RELEIF>>(1959)

 

無数に並ぶ釘。真っ白な画面。規則的なのにゆらいでいる。
作品の前を歩き、のぞき込む角度とともに抽象が浮かぶ。
釘の凹凸が人為的な作業を窺わせて面白い。マチエールはやっぱり楽しいな!
ゲルト・ヴィンクラー曰く、ユッカーの作品はリアリスト*3のために創造の余白を残してあるらしいが、事実まんまとわたしもその質感やフォルムに想像力をまんまと働かせてしまった。悔しい限りである。
彼は弓を使用した作品も残しているが、弓というとどうしても中西夏之を思い出す。しかし中西の弓を用いた作品は1980年ごろから登場しているはずなので、こちらのが全然先ですね。すみません。
彼は三つもアカデミーに通ったらしい。勉強はいくらでもしていい、と背中を押されるようなエピソードですね。わたしも学校行こうかな。

 

■エンリコ・カステラーニ

<<Surface>>(1962)

 

これは結構マジで良かった。臙脂色の布?と思しき支持体に釘が表裏から打ち付けられている。規則的な配列により単色の画面は確かな違和感と立体感をもってこちらに訴えかける。
ユッカーの釘が必然性を感じさせないのに対し、カステラーニの釘はすごくロジカルだ。意味的なものに安心するのともまた違う。
純粋に作品としてとても美しいうえに、画面の重層性を一瞬で悟らせてくれる作品。好きです。

 

■ピエロ・マンゾーニ

<<アクローム>>(1962-63)

<<長い線>>(1960)

<<生きる彫刻>>(1961)

 

作品→映像の順で見たため、「アクローム」の時点で線について考えてたのかな!と思ったら、こっちのが後だった。
当時結構売れっ子だったというマンゾーニの"長い線"、ローラーに紙をセットして固定しながら描くさまがシュール。終着点には「15 CAPONERA」と記されている。調べたが情報がヒットしないところを見るとイタリアの人名とかだろうか。映像では「たったの20万リラで購入できるなんて!」とさながらジャパネットたかたを彷彿とさせるような早口のナレーションがまくしたてていたが、1960年代時点の20万リラは現在の日本円換算で約48万*4である。全然安くねーよ!!!
てか長い線って、フルクサスのラ・モンテ・ヤングの"Composition 1960 #10"を思い出した。奇しくもどちらも1960年作だけど、どっちが先なんだ!?むしろマンゾーニがヨーロッパのアートシーンで、ヤングがアメリカだったってだけなのかな。

 

■ヘスス・ラファエル・ソト

<<ヴァイブレーション>>(1958)

 

ヘススの作品は揺らぎがあるというか、どこかグラフィック的で前にアーティゾンで見たアンス・アルトゥング*5『T1989-H35』を思い出した。

彼は展示会の時よく横でギターを演奏していたという。そう聞いてから見ると細く立体的に張った線はきっとギター弦だし、そうでなかったとしても象徴的に使われていることは間違いない。でも透明だとか、音楽的だとか言われるのはちょっと釈然としなかった。美しく繊細な闇って印象。ギャルソンのドレス*6を好きな理由と似てる。

 

■フェルディナント・シュピンデル

<<無題>>(1977)

 

カオリンという素材を初めて聞いた。発泡素材の質感が本当に良すぎる。これ、何をどう購入すれば再現できるだろうか…。正直これだけのために図録買ったところある。

 

■ヤン・スホーンホーフェン

<<無題>>(1965)

 

紙粘土で作られた作品。放射状に広がる重厚感と、粘土という素材のもつ卑近さが妙な存在感を生み出していると思った。一番好きなわけじゃないけど、なぜか目が離せなくなる。

 

■ヘンク・ペーテルス

<<モビール・フェザー 8-14>>(1962-1967)

 

20分に一度動作するというので待っていたら、やたら派手なモーターの回転音とともに、アフリカハゲコウの羽が部分的に揺れたり揺れなかったりした。音のデカさに対して動きの地味さが日本のB級スポットを思わせる*7

 

■クリスチャン・メーゲルト

<<キネティック:回転する2つに切られた円>>(1966)

<<キネティック:回転する3つに切られた円>>(1966)

<<鏡の壁>>(1961/2020)

<<12枚の鏡のモビール>>(1964/2020)

 

ヘスス・ラファエル・ソトの紹介文に"キネティック・アート"という文字列があったので、タイトルとか影響受けてるのかなって思ったら時代が後だった。真偽のほどは知らない。10分ごとに装置が作動すると記載されていたので、のんびりと鑑賞しながら待っていた。
鏡に映り込むわたし。自動回転するものたち。隣の人の身体が切り刻まれて映り込む。なんかkishi yumaのAIアートを思い出した。これはもっとアナログに、空間を切り刻んで再構築しているんだな。ある意味、こちら側の風景そのものを借りてきて、シミュレーションに落とし込んでいるのではないか?とすら思った。

 

■ルーチョ・フォンタナ

<<空間概念>>(1965)

 

ピーネの<<かんむり座>>が表面の凹凸を照らして鈍く美しい。アルミニウムの表面に走る細かい線が、揺れ、折り重なるように表情を変える。あまりにも出来すぎたレイアウトだった。
見た瞬間、アンジュ・ミケーレ*8を観た時の衝撃を思い出したが、影響を受けているのだろうか。アルミニウムの柔い支持体に孔をあけたり、切り込みを入れた作品が知られている*9とのこと。穴の空け方が規則的なのに暴力的で、綺麗だよね。
フォンタナの名前はなぜか聞いたことがあった(おそらくアンフォルメルに興味があり、ゆるゆる勉強中のため)ものの、作品を見るのは初めてだったが、結構好き!もっと見たいな。

 

■アドルフ・ルター

<<凸面鏡のオブジェクト>>(1967)

<<光の錠>>(1964)

<<光の錠>>(1964)

 

<<光の錠>>は、絵画以外でいちばん美しいと思った。
石みたいでくっついてるのが不思議だった。とろりとしてひかっている柔らかい虫のようだ。蠢くのは蛹に似て、でも透明だからそれは美しい。
下に沈んだ灰色の水はガラスじゃないみたいで、透き通って、わたしは飲み込みそうになる。光の入り方がまどろんでいる。折り重なる永遠を、所有したい、所有したいと思った。許されるだろうか?
じっと目を見て、このひかりをかきとめたい
そう感じた。本当にきれいだ。
ルターは役人として40代まで勤めた後美術家としての活動を始めたらしい。そういう生き方もあるんだなあと。
光で思い出したけどアピチャッポンの映画見たいな。

 

ゼロとは何か?

エレベーターで1階に降り、入館当初スルーした映像『0×0=kunst 絵具と絵筆を持たない画家』*10を鑑賞する。ちょうど始まったばかりのところだった。映像はゼロの思想やアーティストについて追ったドキュメンタリーだった。kunstはドイツ語で芸術を意味する。
ゼロは"自動劇場"としての美術館を提唱した。その作品群は体験ベースで、展示物に触れてもいい。それも入場料のうちだと言うのだ。ギャラリーDatoや、グッゲンハイム美術館*11など前衛的で意欲的な画廊が彼らの作品を支持したことで、その活動は徐々に注目を浴びるものになっていった。むしろ本国ドイツよりもパリのアートシーンのほうがゼロに理解を示したかもしれない。彼らはしばしばビラを用いて街中で活動を行った。「アートを街中に持ち込むんだ」とばかりに鮮やかな服を着てイヴェントを行う。
ゼロの美術家たちははしばしばウィットやブラックユーモア、アイロニカルな挑発めいた行為を行った。矢印を窓から出すパフォーマンスなど…マックやピーネ、マンゾーニなどの他にも、様々なアーティストがシーンに参加した。平日は官僚、休日はポスター描きというデュフレーヌ。音を奏でる機械作品を制作したジャン・ティンゲリー。機械作品を身にまとい踊りを表現したハリー・クラマー。ゼロはまさに、1960年代のヨーロッパのアートシーンを「無」という形で統一していく存在だったともいえる。特に「ただのゴミにしか見えないものこそ実は最高のアートだったりする」と言いながら街中のポスターを妻とはがして回るデュフレーヌのラディカルさは、支持体からの解放や、シミュレーショニズムを考えさせる部分が大きく、印象的だった。
 
ゼロは無ではなくそこから作り出されるものであり、視覚と知覚の言語であり、革命的精神と懐疑的試みの実践でもある。いうなれば「生活の中のアート」といった所だろうか。"0×0=アート"の方程式はしばしば、「それが現実でそれが世界だ」と問いかける。その活動はデュッセルドルフの都市的体質により生まれたものとも言える。ゼロのコンセプトには"なるべく簡単な方法で制作を行う"といったものがあり、その単純化、画一化はデュシャンレディメイドや、のちに80年代に台頭するシミュレーショニズムに通じるところがあると思う。
映像の内容はざっとこんな感じのものだったと思う。記憶とメモによる再構成のため細部は間違っているかもしれない。
個人的には森美術館の美術館施策みたく写真を完全OKにしたり、当時行われていた"ゼロ"の展覧会の思想に基づいて作品への接触を許可したらどうか?と思ったが、コロナ明けの混乱の中ではそういうわけにもいかなかったのであろう。
パンフレットが装丁と分量の割に高いなと感じたが、思想として今触れることに意味があったので、購入した(結果的に中の文献の密度が濃かったのでよかった)。
今回の来館でそういえば随分昔に森美術館の「LOVE展(2013)」で草間作品を見たことを思い出した。当時ひそかにアーバンギャルドのファンであったため草間の名前は知っていたけど、作品は覚えていない。今検索したけどやっぱりあんま好きじゃなかった。同展はやくしまるえつこの声をインタラクティブ合成した展示と初音ミクを異様にフィーチャーしていた記憶。当時生粋のボーカロイド・オタクであった私もほいほい釣られてジェフ・クーンズやロダンを眺めていたので、何も言えませんが……
 
 

 

蛇足(検索に出てこなかったお話)

『0×0=kunst』を見ていて取ったメモと、英語や独語の文献で整合性がとれなかった部分を以下に記します。詳しい人とかいたら教えてください。お願いします。

機械作品を身にまとい踊りを表現したハリー・クラマーは、ゼロの符号について、世界劇場の構想を掲げている。「ゼロに従ったら作品の表現するものは何もなくなった。だが、それこそがテーゼである!」個人的にこの思想はめちゃくちゃグッと来たし、思想を突き詰めた先に辿りつくのが踊りというのが現代作曲家の川島素晴さんとか思い出してすごい良い。
→ゼロのWikipediaで映像の人物を探したが、中肉中背で骨組みが露出した機械を身体に着用しながらゆったりと踊る人物が見当たらない。名前のスペルが近いのはFelix Krämer、Harry Schmitzだが、両者を混同したか?
 
水平面は垂直になる/シチュエーションのコンポジション偶然性/逸話のトポグラフィー?シュペリの作品は、大体20000円ちょいで売るらしい。販売はすべてギャラリーにまかせている。帽子がトレードマークのフィリュウは11000円くらい。
→Ferdinand Spindelの記述かと思いましたが、違う気もする。細身の好青年で、確か絵画作品だったと思います。哲学的な思想に惹かれたけど情報がなくて追えず。フィリュウという帽子の中に作品を持ち歩いている人物のことも見つからない(記憶が曖昧すぎる)。
 
「ゼロは視覚と知覚の言語である…それはひんやりとした知覚の言語だ」
誰のセリフかわかりませんが、好きです。

オーベルタン
 
アメリカのロケットの発射の号令もゼロ
光のレリーフキネティックおい!ローター!!!?!?!、
マジでわけがわからん
 
 
以上でした。備忘録に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
知識不足は今後補填します。

*1:『ZERO IS INFINITY 「ゼロ」と草間彌生』序文より要約して引用。

*2:親の教育の賜物か、自身の精神的なものか、わたしはいまだに性的なものに対する根拠のない嫌悪感、罪悪感を物凄く抱いている。しかしそれはあくまで前提というか、靄のようなものであって、自分から切り離されたテーゼとして純粋に思考することが可能なレベルまで相対化はされてきた

*3:抽象画などの芸術作品を見て作者の意図や思想を必要以上に推測し、乗せたがる人々のこと、らしい

*4:当時は固定相場制の時代であり、1ドルは360円、そして625リラであった。現在の物価だと360円は約1500円にあたるので、単純計算で200,000(リラ)÷625×1500=480,000(円)となる

*5:1904.9.21-1967 フランスの画家。ドイツ出身。ドレスデン画を始め、1922年から抽象的絵画を制作。’25年カンディンスキーの講演に感銘しこの傾向に専念、31年にはドレスデンで初の個展を開く。ナチスを嫌いパリに脱出、第二次大戦中は外人部隊に参加、重傷を負い右足切断。’45年パリに戻り画業に復帰し、同年フランスに帰化。カリグラフィックな筆さばきを持つ線描抽象絵画の巨匠として評価されリトも秀作が多い。グッテンハイム賞、ベネチア・ビエンナーレ展大賞等受賞。パリで没。(出典:日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」,1995)

*6:13AWみたいなブラックで上品で繊細でなおかつボリューミーなやつ

*7:マジでこんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、熱海秘宝館を思い出しました

*8:VOCA展2020で、アルミ蒸着紙を支持体にした作品を出していた作家。

*9:https://art.tokushima-ec.ed.jp//srch/srch_art_detail.php?pno=1&no=60010

*10:監督ゲルハルト・ウィンスベガー、撮影:フランツラー、編集:ジョアンナロ・ジュースカ、音楽:ルドルト・フォーゲルがクレジットされている。特に意味はないがメモしたので記録

*11:Hermann Goepfert『オプトフォニウム(Optophonium)』の、光の壁がフィーチャーされていた。