思考の遊園地回廊 #10

命ばっかり / 6年後に好きな人と仕事するわたし

238日目:隔離式濃厚接触室

布施琳太郎氏の展示、『隔離式濃厚接触室』を鑑賞した。

 

朝起きてすぐ、なんとなくに検索して、クリックしたら、その部屋にスッと入れた。

”ひとりしか鑑賞できない”と設定されたその部屋は、4/30の公開から何度アクセスしても全く入れなかった。

絶対見たいと意気込んではいたものの、いざ入り、位置情報を許可した瞬間、なんとも言えない感情がこみ上げた。わたしの家。毎日毎日死ぬほど見て、ここんとこもうここ以外見てない。暇すぎて綺麗に刈り揃えた庭の植木。ストリートビューに映り込む隣の家の主人。

 

なんで知ってるの?

 

仕組みはなんとなく想像がつくし、位置情報を許可したのは私だ。

でも、ものすごく孤独で、胸が詰まって、悲しかった。我慢してたんだなと自覚する。明日パーギャラ*1に行こうよ、と後輩を誘ったことを思い出した。好きな人も相方も忙しいし真面目で素晴らしい人たちだから、私も自粛するいい子のふりをするし、会いたいそぶりも見せないようにしてるけど、緊急事態宣言の中で私はとっくに疲れていたのだと思う。ずっと止まっていた生理のことを思い出した。初めてしたセックスのことを思い出した。それに怯えるようになってしまったと思い出した。好きな人の子供以外欲しくない。セックスは、すごく、汚いもののような気がしてしまったことを思い出した。大好きな作曲家の言うことが信用できなくなった日を思い出した。神様だったひとの持論に頭が付いていけなくなった日を思い出した。抱きしめないでよ。ねえ。好きな人の音楽をみんなが褒めている。

わたしは、わたしは。

もう二度と触れないで、お願い、ひとりだけにして。毎日毎日連絡したくなくて、人に嫌われるのが怖くて、そう願うたび、ポーター・ロビンソンのShelterみたいな孤独がわっと埋め尽くす。家族も疲弊して会話にあまり付き合ってくれなくなった。私の友達は専ら本なんだ。毎日毎日気が向いたときに美術の本とか現代音楽の本を読んで、色々教えてもらってた。私は人に聞くことができない。怖くて仕方がないから。調べればわかる可能性のあることは、徹底的に調べてしか、もしくは助け舟を出してもらった時しか、頼れない。前に友達に言われたことがある。「れんちゃんって、誰にも頼ったり、頼られたりしてなさそう」って。どういう意味?と言いかけた言葉は飲み込んでしまった。君は兄弟がいるから良いよね、と思ってしまった。

 

出た瞬間、もう一度詩を読もうとしたらもうだめだった。

ああ、今この瞬間にも見てる人がいるんだ。さっき入れたのに、今?アクセスできないはずなのに何故か嬉しかった。

やっぱり、反復される自分の家の風景はきついものがあるな。

*1:相模原市のパ―プルームギャラリー。